スーパーグローバル学部増田准教授

いかれた大学教員の思いつき

センター試験

そんな中、大学入試センター試験が行われ、入試シーズンもまっただ中となったわけである。

センター試験当日、それは大学教員にとって一年でもっとも長い一日になる。勤務する大学が、センター試験を利用した入試を行うことと引き換えに、センター試験の監督業務がもれなくやってくるのだ。

大規模な大学であれば、数年に一度当番が回ってくる程度かもしれない。大学の規模が小さければ小さいほど、その頻度はより頻繁である。現実問題としては、毎年監督の役目が回ってくる。

始まった頃のセンター試験というのは、それほど科目数も多くなかったように思う。それが近年のセンター試験では異様に科目数も多くなり、そのため社会や理科の二科目受験科目では、トイレにいく休憩時間もない状態で三時間近く拘束されるという信じがたい事態が発生している。こうなるともはや人権侵害だといわれても仕方がないだろう。

英語のリスニングでも、例年不具合が発生するが、不具合続出という報道には違和感しかない。異様に高い精度で生産されている機器であるというのが実態であって、この程度で不具合続出と報道されてしまっては、世の大半の製品は不具合続出という次元を遥かに超えてしまっている。このあたりからも日本の報道のレベルがわかるというものだろう。

また、大学教員にとってはミスができないプレッシャーの中での監督業務になるわけだが、大学教員であろうとなかろうと、人間はミスをする生き物だ。なかでも大学教員という人種は、マニュアル通りに行動する能力に欠けている場合が多く、現実問題として、大学教員にセンター試験の監督業務を担当させることは、リスク要因でしかないという事実を文部科学省ならびに大学入試センターはいつになれば理解するのであろうか?

数年後にはセンター試験は廃止され、新しい大学入試の枠組みを導入することが検討されている。記述式問題の導入により、採点にかかる時間の見通しが甘く、年に複数回の実施はもはや現実的ではなくなっているようだ。受験生にとっても、大学の教職員にとっても、フェアであると同時に肉体的にも精神的にも負担の少ない試験になってほしいものであるが、採点業務は民間委託という話もあがっており、そうだとすれば、大学の教員が採点するのに比較してという相対的な評価としては、決して悪い話ではないだろう。