スーパーグローバル学部増田准教授

いかれた大学教員の思いつき

2018年問題に背を向けて

2018年問題という言葉がある。大学に教員や職員として籍を置いていて、その言葉や意味を知らないとすれば、かなりおめでたい部類に入るが、国立大学界隈には意外とそう言う方々もいらっしゃるかもしれない。
わが国では少子化が進んでいるとはいえ、18歳人口の減少傾向に関して言えば、近年はやや減少しているとは言え、おおむね小康状態にあった。それが2018年以降、急激かつ継続的な減少時代へと移行する。それによって大学は、十数年ほど前に訪れた全入の時代から、本格的な淘汰の時代に入らざるを得ない。
少なくとも多くの私立大学関係者は、2018年問題に対してはかなりの危機感を持って対策を練っている。それは5年後、10年後を見据えた大学の経営戦略として、という意味である。
大幅な18歳人口の減少という現実の前では、今の大学数を維持するのはとうてい不可能であって、それは国立大学といえど例外ではあり得ず、誰でも入れるようなFランク大学を潰せば良いというような単純な話でも無いのだが、恐るべきことに2018年問題などどこ吹く風という大学関係者もこの世には存在する。
国立大学では、教育系の新課程が軒並み廃止される訳だが、それに対して定員の倍以上の志願者がいるのに廃止するなんて許せん!音楽や美術(に限らないが)を学ぶ場を奪うな!というような話も日本海に面したあたりなどから聞こえてくる。
廃止されるのは新課程だけであって、教員養成課程としての特別教科がなくなる訳では無いというお話しや、音楽はともかく美術を学ぶなら長岡造形大学が公立になりましたよというお話しは横に置くとして、私立大学が5年先10年先の志願状況を見据えている中で、今の志願状況だけを考えていれば良い国立大学の先生方というのは大変優雅な身分なのである。ぜひ見習いたい。
ともあれ、2018年以降の18歳人口の変化や、財務省との綱引きの中で、先の国立大学改革の方向性も示されている。そして、どう考えても旧帝大や旧官立系を除く地方の比較的小規模な国立大学(「地域貢献タイプ」を選択した55大学と言っても良い)は、大幅な縮小や再編は避けられないだろう。18歳人口が急減していく過程において、地方の国立大学が果たしていた役割は、近隣の公立大学や私立大学が引き受ける余力は十分にあると言える。
それにも関わらず当の国立大学の先生方は、今のまま、あるがままの国立が大事であって、縮小も再編も許さないとおっしゃっているような状況なのである。まるで私立大学に高度な人材育成など任せられないとでも言わんばかりであり、さすがは国立の面目躍如といったところである。まさにそのような態度こそが地方国立大学の再編論を加速させているとも言えるわけだが、一体いつになればそのような状況を自覚するのだろうか?
自分の所属する大学がまさに無くなるその時まで自覚することはないのかもしれないが、地方における文系教育の危機を訴える方々の心配を余所に、文系の灯は地域の拠点たる覚悟を持った私立大学が灯し続けることだろう。
無くなるのは今のままの文系学部学科に固執する方々のポストだけなのである。