スーパーグローバル学部増田准教授

いかれた大学教員の思いつき

本当の敵は誰か?

国立大学の教員たちが、優秀であればあるほど雑務ー特に個人もしくは組織として応募する各種競争的資金の申請書作成業務に追われ、教育・研究に携わる時間とかけられる経費が減り、最終的に学生の教育にもしわ寄せがいく、といった昨今の事態に対して、文部科学省の繰り出す見当違いの大学改革メニューに振り回されているからであり、無能な文部科学省や大学執行部をなんとかするべきであるといった批判はよく目にするところである。

もちろん、文部科学省がどさくさに紛れてトップダウン型組織へのガバナンス改革や、人文系部局の(意識)改革や再編を遂行しようという意図があることは否定しない。実際のところ、中には医学部は鬼ヶ島状態で楯突くと解雇されるような大学や、学長の暴走特急が絶賛爆走中の九州の教育大学のように、ガバナンス改革がどう見てもおかしな方向に進んでいるものの、止める術が用意されていないという、内部の人間には全く笑えないネタのような事態も発生していることも事実である。しかしそれでもなお、多くの国立大学の惨状をもたらしている直接の原因は、文部科学省による大学改革プログラムではない。

確かに、国立大学をめぐる状況が悪化していくプロセスと、大学改革プログラムが繰り出されるタイミングがほぼシンクロしていることから、因果関係が誤解されることは多い。

しかしすでに書いてきた通り、文部科学省としては、国立大学の運営費交付金を継続的に削減していくという方針を飲まされた以上、どうにかしてその削減分を埋め合わせようというのが本来の立場である。多くの国立大学では運営費交付金だけでは人件費すら賄えない状態にある以上、できるだけ何らかの競争的な資金を割りあてる、というのが財務省とのギリギリの折衝の結果だと言える。

このようにして、財務官僚を説得するための材料として繰り出されているはずが、守るべき大学方面にも派手に誤爆しているのがさまざまな大学改革プログラムであると言えるだろう。

誤爆されている現場の大学教員のほうが、文部科学省や自分たちの大学執行部を攻撃したくなる気持ちも理解できるが、しかし本来共に闘うべき味方同士が足を引っ張りあっているという状況は、財務省としては笑いが止まらないであろう。

文部科学省は教育のなんたるかを理解していない!」との批判は、まずはそのまま「財務省は教育のなんたるかを理解していない!」と矛先を変えるべきなのである。

そのような財務省相手に説得して予算を獲得しなければならないからこそ、文部科学省としてもともすれば見当違いの施策を次々と提案するのであるし、財務官僚にも理解できる短期的に目に見えてわかりやすい成果を求められているに過ぎない。

その一方で、多くの国立大学の執行部において、財務状況を巡る厳しい現状を大学の教職員全体で共有しようという姿勢がほとんど見られないことは、誠に残念なことである。大学の執行部に籍を置く方々の多くは、優秀な方々であるとは思うのだが、大学経営への適性以前に、そもそも人心掌握の基本を理解していない方も少なくないように見える。

「現在の本学の財務状況は、国からのお金だけでは人件費も賄えません。研究費くらいはなんとか自助努力で稼いでもらわなければならないのです。このままではいずれ、大規模な人員削減もしくは人件費の大幅カットをしない限り組織が立ちゆかなくなってしまいます。文科省財務省に対して共に問題を訴えていきましょう!」

とでも言えば良いところを、

「研究費はカットします。お金がないのだから仕方ない。異論は認めない。」

というやり方なのだから、一緒になんとか頑張ろうという気など起こるはずもない。結果、「一体何にお金を使っているのか?」というような、執行部への疑心暗鬼だけが増幅していくのである。現実問題としては、何に使っているのかと聞かれれば、「みなさんの人件費を払ったら財布は空っぽです」ということなのだが、ものは言いようなのである。

「ベンチがアホやから野球ができん」とはまさにこのような事態であるのかもしれないが、それでもわれわれ国立大学に籍を置く者としては、本当の敵を見誤らないようにするべきである。