スーパーグローバル学部増田准教授

いかれた大学教員の思いつき

大学ランキングのはなし(国際)

そもそもスーパーグローバル詐欺の発端はと言えば、運営費交付金の枠が削減されていくことを見据えた予算確保のため、国立大学法人の改革プランの中で、10年間で世界の大学ランキングトップ100位以内に10校以上を送り込むという、無謀とも言える目標を掲げたことにある。

スーパーグローバル大学のトップ型に選ばれた、北海道、東北、筑波、東京、東京医科歯科、東京工業、名古屋、京都、大阪、広島、九州、慶應、早稲田の13大学は、まさにそのような目標を掲げる大学である。

皆さんすでにご存知かとは思うが、目標の前にある現実を一度おさらいしておく。

今年のQSのランキングにおいて、100位以内に位置しているのは、東京、京都、東京工業、大阪、東北の5大学であり、日本の大学で10番目にあたる慶應が220位あたりにいる。

同じく今年のTHEのランキングでは、100位以内に入っているのは東京、京都の2大学のみである。日本の大学としては10位の東京医科歯科で401-500位に位置している。国内8位に豊田工業大が入ってくるあたり、いかにレピュテーションの比重が大きいかが分かる。このランキングにおいて100位以内に10校送り込むというのはさすがに寝言でしかないだろう。授業を英語化して留学生を呼ぼうとするより、「米国内に国立大学法人の分校を設立する事業」を推進した方が良い。

このような現実を前にしながらも大学改革に突っ走る文部科学省に批判的な大学教員は少なくない。世界どころかアジアでの地位の低下は、文部科学省の進める大学改革のせいであるかのような論調も目にする。

私自身も、今進められている改革が必ずしもランキングや教育・研究の質の向上につながるなどとは思ってはいないが、そのような大学教員にとって不都合な真実は、日本の大学のランキングは決して下降してばかりでもないということである。

確かに、東大京大を始め、国内トップ5くらいまでのランクは低下しているかもしれない。東大がアジアのトップから陥落というのは比較的衝撃を持って受け止められていたようにも思う。その一方で、国内の5-15位あたりに位置している大学のランキングは、上昇傾向にあるようにも見える。その意味するところは、お金をかければランキングは上がるということなのだろう。

大京大一辺倒の予算配分から、国立大学の機能分化の方針に合わせて、国際的に競争する研究志向の大学に対して、運営費交付金は削減されているとは言え、競争的な資金がかなり振り分けられるようになっていることは、無視できない効果はあるのだろう。

もちろん、競争的な資金では、教職員の事務処理のコストがバカにならないこと、長期的な視野に立った人材育成や研究活動に支障があることは明らかである。財務省を説得する材料であることを差し引いても、もっと効果的なやり方があるはずだというのは、大学に籍を置く者に共通する思いだろう。

ともあれ、QSやTHEのように、知名度による部分が大きいランキングでは、苦戦しているものの、トムソン・ロイターの革新的大学ランキングにおいては、日本の大学は健闘している。その理由は明確で、このランキングでは、知名度や評判といった「エビデンス」に欠ける指標は排されており、具体的かつ客観的な成果に基づいているからである。

16位の東大を筆頭に、大阪、京都、東京工業、慶應までが50位以内にランクされ、九州、名古屋、北海道と8大学が100位以内に位置している。

世界全体にさきがけて発表されたアジアでのランキングに限ると、アジアで20位の北海道の下には26位広島、29位筑波、31位東京医科歯科と続いており、このランキングに関しては世界のトップ100位以内に10校というのは、あながち無謀な目標とは言いきれない。

この革新的大学ランキングは、基本的には研究成果によるものであり、教育機関としての大学という面は評価されていないことは差し引いて考える必要はある。しかし、日本の大学は、言葉の壁がある中で、成果だけを見ればグローバルな研究環境においてかなり競争できているということでもあり、勇気づけられる結果である。このことは、グローバル化の掛け声のもとで進められようとしている、授業の英語化や留学生数の目標設定の是非について考える上でも示唆を与えるものだと言えるだろう。授業を無理やり英語にした結果、なんとか崖っぷちで踏み止まっていたところを背後から突き落としてトドメを刺すような事態にならないことを祈りたい。