スーパーグローバル学部増田准教授

いかれた大学教員の思いつき

誰がアクティブラーニングを教えるのか

次期学習指導要領の目玉は、アクティブラーニングの導入ということになっている。指導法としてのアクティブラーニングの導入そのものは悪いものでは無いと考えているが、ただ、それを実施できる教師の配置がともなうのであれば、の話である。

今現場にいる教師の多くは、児童・生徒としてはもちろん、あるいは教師としても、どのような形であれ、その類の指導法を体験したことがない。効果的な指導法や、伝達すべき内容に応じたそのバリエーションを身につけた教師というのはほとんどいないであろうし、そういった指導法についてなにかしら学んだことがある教師でさえ、一握りしかいないであろう。

多くの教師たちは、アクティブラーニングを導入されだからと言って突然その指導法の有能な指導者になれるわけはなく、おそらく総合的な学習がそうであったように、どうすれば良いのかわからないが仕方なく行われるどうしようもない大多数の実践と、ごくわずかな注目すべき実践とに分かれることになるだろう。

現実的には、ファシリテーションの基本を理解しないまま、グループ学習と称する不毛な話し合いをさせては発表させるという形式の、効果の疑わしい実践ばかりが増えることだろう。総合的な学習の時間が削減され続けている実態からしても、アクティブラーニング導入の未来は暗い。

教師の学びの機会としては、各地の教育学部・附属学校等で開催される様々な研究会などもあるが、参加するのは意欲的な教師だけである。

大多数の教師に新しい技能を伝える枠組みとしては、認定講習や、免許状更新講習などがあり得るし、認定講習は英語教育の前倒しでも活用されるが、現職教員の大半が抱える「アクティブラーニングをどう実践すれば良いのか?」という切羽詰まった問題に対して、とても応えられるだけの資源がない。

免許状更新講習を活用するにしても、全員に行き届くまでには10年もかかる大事業となる。

そもそも、多くの大学(の教育学部や附属学校)で、まともにアクティブラーニングを実践できる教員がどれほどいるかといえば、それはもうお寒い状況である事は、免許状更新講習に参加したことのある教師なら誰でも知っていることだろう。つまるところ、教えることのできる人間もまた、一握りしかいないのであって、10年かかっても多くの教師はまともなアクティブラーニングを実践するには程遠い状況のままであろう。そうこうするうちに、不十分な体制で学んだ児童生徒の学力不足が顕在化することだろう。

総合的な学習であれ、アクティブラーニングであれ、上手く指導されればという前提において、目覚ましい効果を上げることができるというのはおそらくそうなのだろう。しかしながら、いまさら大きな声で言う者はいないが、上手く指導できないのであれば、むしろ従来型の指導法の方が学習効果が高いということもまた間違いなさそうである。

アクティブラーニングを実践するにあたり、ひとつのクラスを複数の教師が担当するチームティーチングを採用できるようにしておくことは、指導の選択肢を大きく拡げることにつながるだろう。アクティブラーニングの指導法を身につけた教師を、そのような指導に触れたことのない教師と複数で指導に当たらせることは、児童生徒への学習効果の面でも、指導法の移転という意味でも、有効な手法となろう。しかしながら、財務省からはその矢先の教員数削減要求である。残念なことに、アクティブラーニング導入の良い面での学習効果が出るよりも、教育が破綻した未来の方が先にやってきそうな気配である。

アクティブラーニングを導入するとぶち上げることは理想論としては良いのだが、それを実現するための教師の指導力を向上すること無くして、現実的には導入の効果は見込めない。それどころか、むしろゆとり世代以上に悲惨な知の谷間世代を生むことになるだろう。

意欲的な教師がアクティブラーニングのノウハウを学び合うことのできる、効果的な実践例共有のためのプラットホームができることを望みたい。