スーパーグローバル学部増田准教授

いかれた大学教員の思いつき

競争的でない競争的資金を巡るあれこれ

しばらく駄文を書く暇のないままに新学期になってしまった。4月といえば、科研費の採否が開示される日である。昨年度が最終年度であったので、獲れなければ研究費が不足することは目に見えている。落ちる予定などあるわけはなく、結果的には採択されたわけだが、必ず通る保証もあるはずはないのであって、結果を見るまでは安心はできない。

というところで、日本の競争的資金などそれほど競争的ではないというツイートを目にした。

TAL on Twitter: "日本の「競争的資金」は実はそれほど「競争的」ではない。例えば若い研究者でもPIになって研究費をけっこう簡単に取って来られるがイギリスだと若い研究者がPIでグラントをとるハードルはずっと高い。正直言って日本で「競争的資金が悪い」と言ってる連中は世界に出たらすぐに死んでしまうと思う。"

研究者レベルで申請する競争的資金については指摘の通りなのだが、競争的資金の比率が増やされているという話は機関向けについても同様であるので、競争的資金が悪いという話しはあながち的外れでもない。

と言うのも、文部科学省としては予算確保のためには財務省を説得しなければならないわけで、予算配分に対する成果の見える化はしなければならない。そこで大型の機関向け補助金が投入されるわけだが、文科省としても運営費交付金削減の埋め合わせをしなければならないことは明らかなわけで、こうした大型の機関向け競争的資金というのは、ある程度出来レースと相場が決まっている。

背伸びして申請する価値のある事業も無いわけではないが、最初からお呼びでないような事業も多い。

天下りを受け入れなかったからスーパーグローバルに落ちたというような寝ぼけた話しをするジャーナリスト氏もいるようだが、天下りの学長を受け入れたところで茨城大学がスーパーグローバルをとるような事態はそもそも想定されていないのである。そのためのCOCなのだ。

もちろん、論功行賞で資金が投入されることも無いわけではない。真っ先に文系学部を再編してデータサイエンス系の新学部を作ると宣言し、「数理及びデータサイエンスに係る教育強化」の拠点校に選定された滋賀大学などはその好例であろう。

というわけで、機関向けの競争的資金というのはだいたいにおいて決まりきった話であるので、教員の限られたリソースを無駄に消費するような分厚い申請書など書かせたりせずに配分するようにすれば良いのである。

指定国立法人の申請には随分厳しい条件が付されていたが、良い方策と言える。そのように事前に申請のための条件でフィルターにかけておけば良いだけの話なのである。過去の成果に基づいて申請条件を厳しく定めておくことで、どのような成果を上げている大学を支援するかというビジョンを示しつつ、採択校のレベルを担保し、競争的資金の申請に必要となるエネルギーを大幅に削減するべきである。

さらにタチが悪いのは、こうした大型の機関向け資金の目に見える成果として、新学部や研究科の設置を伴う「改革」が求められることも少なくないことだろう。おそらく、多くの大学においては、競争的資金の申請手続き以上に、新学部・研究科の設置申請のための膨大な事務手続こそが本当の悪夢である。

大型の資金が投入されるたびにこのような負担を伴う改革を頻繁に行わなければならないところに、昨今の日本の大学を巡る問題の要因がある。そもそもころころ頻繁に変わるような変化は改革ではない。単なる混乱と呼ぶべき状態である。設置申請やアフターケア、第三者評価のための手続きの簡略化は、改革疲れの大学を大いに助けるだろう。とは言え、審査そのものをあまりに緩くしてしまうと、わけのわからない大学がますます増えてしまうだけなので、書類作成にかかるリソースを削減できる方策を採用してもらいたい。

そうした事務処理負担の軽減を実現できれば、運営費交付金の削減と競争的資金への移行も、もう少し受け入れられやすいというものだろう。