スーパーグローバル学部増田准教授

いかれた大学教員の思いつき

就活に失敗したと泣き叫ぶエゴ

6月1日に解禁となったはずの企業による新卒採用の選考活動。実態としては多くの著名な企業はすでに選考も終了しており、その時点で実質的に内定が解禁される事態となった。

例年このタイミングで就活に失敗したという、当人にとっては深刻であるが、客観的には実におめでたい話がよく聞こえてくる。

確かに、あまり熱心に就職指導などしてくれない著名&大規模な大学に在籍する学生にとっては、就活サイト経由での就活が終わった後は企業とのコンタクトの手段が限られてくるので、「就活オワタ」状態となってしまう面はあるだろう。

その一方で、いわゆる就活サイトでの選考過程では学歴フィルターで門前払いされてしまうような、名前の知られていない大学に所属する学生達にとっては、これからが就活本番である。キャンパス内での在学生向けの企業説明会もこれからまだまだ開催される。就職率が学生の集客に直結する時代であればこそ、こうした大学では就職活動における面倒見の良さが重要となるからである。

また、コスト的に就活サイトへの参加が難しい企業にとっても、いわゆる有名大学卒ではないとは言え、一定の能力を備えた学生というのは、第一次の選考でもれた(すなわち有名大学に在籍はしているが、決め手に欠けるもしくは採用を見送るだけの何らかの理由がある)学生以上に、人事戦略上は重要な存在である。

客観的に見るとそのような状況下において、自分がまだ内定を獲得できていないからといって「就活に失敗した!」「人生終わりだ!」というような発言を平気でしてしまう学生というのは、気の毒だとは思うが、自分自身をしっかりと見つめなおしてもらうしかない。

聞こえのいい嘘ばかりつけるやつが内定をもらって正直者の自分がバカをみた、という主張も理解できないわけではない。
しかし、会社の将来をかけて選考している採用担当者も馬鹿ではない。嘘をつくのが下手だったことだけが内定をもらえなかった理由であるかどうかは疑問が残る。

自殺したくなるほどにアイデンティティが崩壊してしまうのは、自分たちがそれまで見下してバカにしていたはずの、彼らが二流大学とみなしていた大学に通っている学生たちと、一流とされる大学に所属しているのだから一流であるはずの自分が、あろうことか同じスタートラインに立たされている、という現実を受け入れることができないからであろう、という指摘は否定し難いのではないかと思う。

そして、そのような態度は、おそらく本人が気づかないところで、まともな企業には見ぬかれており、採用を見送られる理由となっていてもおかしくはない。

なにしろ、自分が走っていたと信じていたレールからちょっと外れただけで人生が終わったと半狂乱で泣き叫ぶ人間とまさに同じ場所で、さあこれからが本番だ、という人間はいくらでもいるのである。
そうなったらなおさら企業がどちらの人間を採用するかといえば、その答えは明らかであろう。

面接室の中でしか選考されていないと信じている学生も少なくないようであるが、彼らが考えている以上に、あらゆるところが見られているものであり、失敗を生むのは自分自身であるとしか言いようがない。

しかしそれでもやはりなお救いは残されている。
就活は人と企業の出会いである以上、タイミングや相性というものがある。あなたがどんなに優秀であったとしても、企業の要求とマッチしなければ採用されないということは事実としてあり得る。

自分自身を見つめなおし、社会的に評価の高い組織に所属することが自分の評価につながるわけではないと気づく日が、そして、ありのままの自分を必要としてくれる組織で働くことが自分にとって幸せなことなのだと気づく日が、自殺する日より先に来ることを切に願う。