スーパーグローバル学部増田准教授

いかれた大学教員の思いつき

椅子取りゲームに勝つ方法(教員編)

大学に学生として入ることは容易になった。その反面、教員として大学に入ることはずいぶん難しくなった。

大学に所属する研究者のポストというのは、それを希望する人数に比べると圧倒的に少なく、当然のことながら大学教員を目指した「就活」においても、熾烈な競争が繰り広げられている。

その昔、大学教授になる方法という類の書籍があったが、大学でポストを得るための方法というのは、今ではずいぶんと様変わりしているように思う。

非常勤講師をステップにしてその大学の常勤に、というかつてはそれなりにあり得たルートは、ほぼ消え去ったと考えたほうが良い。非常勤で回している科目・分野であれば、あえて常勤を雇って提供されるようになることはおそらくない。語学系もおそらくネイティヴの外国人教員のポストになっていくことだろう。

今でもコネ入社というべきかたちで採用される者もいないわけではない。学会などで人脈を広げることも依然として有効な手段の1つではある。少なくなったとはいえ、特定の大学出身者で固めている組織もまだある。

だが、そうした人事のあり方は、明らかに時代遅れなものになりつつあり、例外と言うべきものになってきている。出来レースではない公募での採用はこれまでになく増えているし、今後も減ることはないだろう。

したがって、今の時点で応募する立場からすると、相対的に優れた業績を積み上げることと、公募を出している組織が、建前として公募しているのかどうかを見極める目が必要となるだろう。

多くの大学では、所属する教員の業績は基本的に公開されている。出身大学なども公開されている情報から把握できることが増えた。職階に応じてどの程度の業績を持っているか?ということは、自分の業績と比較して、採用される可能性があるかどうかの一つの指標になるだろう。(ただし、定年間際の勤続年数の長い教員の業績が無いとしてもそれはあまり参考にはならない)特定の大学出身者への偏りが明らかな場合、同窓というハンディをしばき倒せるだけの圧倒的な業績があれば可能性はあるかもしれない。

ただ、先の就活エントリにも書いたことであるが、大学においても相性というものはある。

選考する立場からすると、業績は申し分ないとしても、テニュアで長いお付き合いをする可能性があるとなれば、性格的に今の教員組織にうまく馴染むことができるかどうかというのは大きな判断要素である。また、特に「多様な」学生を抱えている大学であればあるほど、柔軟に学生対応ができるかどうか?国公立大学や大規模な大手私立では縁のないような地道な営業活動に適応できるか?という点は極めて重要である。どんなに優秀な研究者でも、組織にうまく馴染めなければ力を発揮してもらえない。個人的にはあまり良いことであるとは思わないが、組織を同窓で固める理由として、価値観を共有していると言うことはあるだろう。

しかし、だからと言って業績はなくても目を瞑るということにはならない。まともに公募すれば、それほど著名な大学ではなくとも、業績的には甲乙つけ難い、なぜこの人たちが常勤のポストを得られないのか?というような優秀な方々から多数応募が来るのである。その中から、最も組織に馴染めそうな人を採用するということであって、業績が無いにも関わらず採用されるようなことはない。

大学の教員であれ、専業の研究者であれ、プロフェッショナル職である以上、業績のない者には人権は無い世界である。業績の無いものが「ポストを得られないのは差別だ!」と叫ぶのはもちろん自由だが、それは当然のことであって、業績が無いものに居場所など無いのである。

先の採用の話に戻ると、面接までしたにも関わらず、組織との相性の部分で残念ながら不採用となった方々も、その後みなさんそれなりの大学でポストを得ていらっしゃることは注目に値する。したがって結論は一つ。

業績を稼げ!そうすればいずれポストは得られるであろう。

いずれにせよ、テニュアのポストが得られたとしても、継続的に研究業績をあげ続けなければ、もはや生きてはいけない時代である。ポストの有無にかかわらず、業績を稼げないものに未来は無い。