スーパーグローバル学部増田准教授

いかれた大学教員の思いつき

文系廃止狂想曲の顚末

今年度、大学界隈を賑わせた一番のニュースは、ミッションの再定義を踏まえた速やかな組織改革を進める中で、教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めよという文部科学省の通知だろう。


これに対して、文系の軽視であるとか、それどころか文系が国立大学から消えようとしているといった、とても人文社会学系の研究者とは思えないような、冷静さのかけらも感じられない、短絡的かつ脊髄反射的な珍騒動が繰り広げられた。
 
そもそも、組織の廃止にせよ、転換にせよ、あくまでも各大学のミッションの再定義を踏まえたものであることが大前提なのである。それらミッションの再定義はこの通知が出されるはるか前に各大学が示したものであるが、今回の文系廃止騒動で反対を叫んでいる方々というのは大体において自分の大学のミッションの再定義など見たこともなければ関心すらない人種なのである。つまるところ、自分のやっていることは未来永劫変える必要がないということにしか関心のない人種なわけであるが、ミッションの再定義が公開された段階では何の関心も払わなかった文系の研究者からの突然の反応に文部科学省が驚いたのも無理はない。
 
実際のところ、問題とされた通知が出された時点で、すでにほぼすべての教員養成系のゼロ免課程は廃止の申請がなされていたはずであり、いまさらである。
通知の文面を素直に読むならば、その他の人文社会系の学部等は、改編を求められこそすれ、廃止ありきではまったくないはずで、文系廃止反対の大合唱がわが国の人文社会系研究者たちのダメさ加減を知らしめることになってしまったことは皮肉な結果だったと言えるだろう。国際的に価値ある研究はできないどころか、母国語の能力にすら欠ける文系の研究者となるともはや救いようがない。
 
おまけに自分の所属する組織の廃止はおろか改編すら許さないような言動は、自らの存在価値を毀損するばかりであることに早く気付いた方が良い。
 
いずれにせよ、文系学部が大学改革の最後の伏魔殿であることは誰の目にも明らかな状況において、文系廃止反対論というのは、危機を感じた当事者から文部科学省に対する考え抜かれた先制攻撃であったと考えると、今後もこの分野の攻防から目が離せない。